【実は日本に2つある】龍岡城跡【現存五稜郭】
・Youtube 水無月の日本探訪記
【実は日本に2つある】龍岡城跡【現存五稜郭】
https://youtu.be/9z3mIwVpvmU
今日ご紹介するのは長野県にある「龍岡城」です。
場所はどこかといいますと、長野県でも中央部です。
長野と甲府のちょうど間くらいにある諏訪の東寄りですね。
ちょうど八ヶ岳周辺の高地を挟んだ向こう側です、間には美ヶ原や霧ヶ峰がありますね。
そんな内陸も内陸にあります。
ちなみに、日本で海から一番遠い場所はこの近くです。
さらに地図を拡大してみるとこんな感じです。
JRの駅で龍岡城があるのですが、龍岡城駅よりも臼田駅のほうが近いという。。
さて、見てわかるとおり、この城の特徴は五稜郭です。
五稜郭は五芒星の形をしたお城ですね。
有名なところで…というか普通の人が函館の五稜郭しか知りませんよね。
実は日本には2つ五稜郭があり、その一つがこの龍岡城なのです。
龍岡城の説明です。
三河国奥殿藩の藩主・松平乗謨(のりかた)という殿様が江戸末期に作ったお城です。
当時の西洋の技術動向から全方面から攻撃に耐えうる砲兵陣地を作ったという
時代を先取りした人物。
1864年に着工、1867年に竣工、ちょうど函館の五稜郭も同じ時期に作成です。
たまたまにしては出来すぎているので関係者の情報交換とかあったんですかねぇ。
この説明とWikiの説明で年が違うんですが、どちらが正しいのだろうか。
この松平乗謨(のりかた)という人物ですが、幕府側から新政府側に下り
敵味方の別け隔てなく志で動いた人なんでしょうね、光る人物というのは
いつの時代でも目の付け所や考え方が違うんですな。
旅をしているとこういうところから知らない人の情報を得られて
知識見聞が広がるので実に楽しいですね。
五稜郭は函館に比べると小さいです。
小さいですが、堀もあり土塁ありできちんとした城です。
今では美しい桜の名所になっています。
そろそろ桜の季節ですので行きたいですね。
城跡は現在小学校があります。
ですが、こちらの田口小学校は2022年をもって閉校となるそうです。
城跡にできた小学校が学校跡になり、竣工時の龍岡城になるべく近いかたちに
再整備するそうです。
江戸時代初期の城郭ではない幕末の西洋を意識した城ができるのでしょうか
ちょっとこれは楽しみではありますね!!
堀は緩やかに曲がっています。
地上からでは五稜郭は見えませんが、明らかに普通の城とは違う様相を感じることはできます。
こんな鋭角に尖った城なんて見ませんもんね。
全方向からの攻撃に耐えられる城として、以前静岡県の田中城を紹介しました。
徳川家康が鯛の天ぷらに当たった場所ですね。
あの当時は火縄銃という直線での攻撃を想定していたのでしょう
時代は流れ、大砲での防御を行うため鋭角になったのでしょうか
それとも武器の発展で射程距離が伸びたため角から角まで射程が伸びたから
丸くする必要が無くなったのか。
ベトナム戦争時、アメリカ軍の陣地は三角陣地だったという話を聞きました
要は鋭角の端が攻撃されても、他の角から支援砲撃できるわけですね
そういうお互いに支援のできる防衛ができるため
こういう鋭角の陣地というのは理に適っていると思うのです。
最後に田口招魂社です。
幕末の北越戦争から近代の戦争までのこの地域での戦没者を祀っている社です。
下の絵を見ても、この地域も複数の藩と天領が入り組んでたんですね。
これもまた田中城での説明でも書きましたが、藩の役人が200人前後しかいない
のにこういう飛び地の管理もしなければならなかったので
非常に苦労したのでしょう、江戸の奉行所ですら奉行が過労死してるくらいですからね。
この小さな藩でも裁判やらなにやら大変だったんでしょうねぇ。
と、当時のお役人様にお疲れ様と言いつつ、龍岡城のご紹介を終えたいと思います。
臼田は「臼田宇宙空間観測所」という日本で一番巨大なパラボラアンテナがあります
ハヤブサと交信していたアンテナですね。
もし、このあたりに行くことがありましたら是非とも行ってみてください。
長野といえば寒天
寒天といえば牛乳寒天!!
臼田駅から1.6Km
龍岡城駅から1.7km
どっちも近いのでお好みでどうぞ!
って感じですね。
上諏訪から行くと3通りのルート。
和田峠を超えるルート
霧ヶ峰を超えるルート
八ヶ岳に沿って進むルート
どのルートも風光明媚で楽しいと思います
なし!!
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【実は日本に2つある】龍岡城跡【現存五稜郭】
https://youtu.be/9z3mIwVpvmU
【運玉投げ】鵜戸神宮【ここにも漣痕】
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【運玉投げ】鵜戸神宮【ここにも漣痕】
https://youtu.be/bJTdJnFvCCE
今日ご紹介するのは宮崎県の「鵜戸神宮」です。
場所は、宮崎県の最南端です。
更に拡大してみると、こんなかんじです。
先日お伝えした青島神社と同じく海岸と山がせめぎ合っている場所にあります。
最寄りに飫肥城がありますので、訪問の際は流れで飫肥城もオススメです。
古い町並み、街に小川が流れ、小川には鯉が泳いでいるという風流な街です。
駐車場から鵜戸神宮まではこんな感じの階段を登っていきます。
鵜戸神宮の全貌です。
こんな感じで山を神社に改造している場所です。
鵜戸神宮の正門です。
第二の門です
この日は生憎の雨、入り口の土産物屋の前を通ったら店のおばちゃんが
「傘持っていきな!」
と傘を貸してくれたので助かった。
帰りに傘を返すと、お世話になったのでお土産を幾つか買ったところ
他にもおまけを沢山頂いた。
話を聞いてみると、砲丸投げの室伏と同じ高校の同級生のお母さんだそうだ。
面白いところに面白い出会いがあるもんですな。
石灯籠の説明。
鵜戸神宮の御由緒。
九州ではよく見かける、山幸彦と豊玉姫の子供であり、神武天皇の父親でもある
重要人物です。
この鵜草葺不合命の陵(お墓)もここにあります。
今の古墳は文化庁が勝手に誰々のお墓と決めたケースばかりなのですが
ここは歴史ある場所なので信憑性は高いんじゃないかなぁと、思う。
鵜戸神宮の本殿の説明。
休憩所にあった、「おちちアメ湯」なるものがある。
関東では馴染みが薄い「アメ湯」
おちちというので牛乳でも入ってるのかな?と思ったけど、岩清水で作ったんですな。
神橋の説明。
この橋より奥は神域、かつては土足厳禁だったそう。
神橋からみる山門。
風情がありますな。
神橋からみる本殿のある海蝕洞。
運玉というものがあります。
こちらが運玉。
この運玉をこの穴に投げ入れます。
男性は左手、女性は右手で入れるというルールがあるようです。
かつては運玉ではなく、現金を投げ入れていたそうな。
その投げ入れた現金を拾いに行った人がいたそうで、「これはまずい」となり
運玉を購入し、投げるという仕組みに変わったそう。
こんな断崖、小銭拾うために降りるなんて絶対ムリ!!!!
こちらが本殿。
海蝕洞の中に作ったらしいです。
かつては「西の高野」といわれ修験道の聖地の一つだったそう。
しかし、明治の廃仏毀釈の折、それも撤廃され鵜戸神宮となったそうだ。
こちらが海蝕洞の中にある「お乳岩」
「お乳岩」の由来。
こちらが「お乳岩」
全然わからないけど、これが御乳岩。
お参りが終わる頃には雨もあがりウキウキ気分で駐車場へ。
駐車場へ戻る最中、ちょっと寄り道をば。
この当時はまだ地質には興味無かったんだけど、片鱗はあったんですな。
こちらが千畳敷奇岩。
青島神社で紹介した鬼の洗濯岩と同じですね。
こちらはこのレベルの大きさの岩がゴロゴロしているのが凄い。
帰りの石段で見つけたカニの兄貴。
石段の隙間が住処とは、なかなかいいところに住んでいらっしゃる。
また別の場所のカニの兄貴。
めっちゃ威嚇してくる。
そのまま隙間へとご帰陣され申した。
しかし、カニが多い。
どいつもこいつも挨拶代わりに威嚇して去っていく。
まじでカニの挨拶かもしれない。
石段で見つけた水舟なるもの。
調べても全然情報がヒットしないので、もしご存じの方がいれば情報Plzです。
そんなこんなの「鵜戸神宮」でした。
Youtubeのほうはもうちょっと写真多めなので是非とも見てください。
最寄りのJRの駅である油津駅から徒歩で2時間弱、13キロの道のりは長い。
距離にして140km、時間にして2時間弱。
道中、蒲生の大楠などを見る場合+2時間くらいかな?
コロナの影響で運休とのこと。。。
よって、この路線バスしかありませんね。
だいたい1時間半ってところでしょうか。
https://www.miyakoh.co.jp/rosen/0_jikoku/9-02_20211001.pdf
料金は1510円とのこと。
https://www.miyakoh.co.jp/bus/rosen/50on/1_16.pdf
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【運玉投げ】鵜戸神宮【ここにも漣痕】
https://youtu.be/bJTdJnFvCCE
【鬼の洗濯岩】青島神社【漣痕】
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【鬼の洗濯岩】青島神社【漣痕】
https://youtu.be/ilu94hgR_98
今日ご紹介するのは宮崎県にある青島神社です
青島神社じゃ宮崎県の南部にあります。
ちょうど宮崎の真南に位置します。
山と海のせめぎ合う場所、そんな場所にあります。
駐車場に車を止め徒歩で向かいます。
現役の線路のハズですが、草が結構生い茂っています。
商店街を抜け、海へ向かいます。
かつての県知事もお出迎えです。
流石に10年以上前の写真ですのでご勘弁を。。。
道の先に見えるのが青島です。
本当に島ですね。
青島の説明です。
青島神社の説明その2です。
海幸彦と山幸彦の間に一人神様がいるのですが、全然からんで来ない。
天照大神と素戔嗚尊の間に月読尊がいますが、彼が空気なのと同じ。
なぜか三兄弟とし、真ん中を空気にする、そんな文化が日本神話にはあります。
時代が下ると無くなる珍しい文化ですよね。
こちらが鬼の洗濯岩
結構な距離続いてますよね
鳥居が赤く際立ってますね。
参道の先に青島神社があります
白いなかに赤い門、映えますよね
こちらが本殿。
色使いも美しい。
参道には土産物屋というか社務所がここぞとばかりに神社グッズを販売しまくってます
興味があれば是非。
これが鬼の洗濯岩。
これをなんと形容するのか、漣痕で良いとは思うのだが、誰も断言していない。
これなんてだいぶ波っぽいもんねぇ。
漣痕とは、砂浜の海底などに一気に土砂が堆積し、波の形に海底がパッケージされたもの、大地震で土砂崩れなどで波の形が保存されるとできるもの。
年月は流れ、海底の隆起などでその地層が海面にでてくると波により
柔らかい部分が流され、硬い部分だけが残る。
そうやってこの土地ができたと考えている。
以上、青島神社でした。
13分です、だいたい1キロなので良心的なところに駅がありますね!
宮崎駅からは約30分程度です。
・Youtube 水無月の日本探訪記
【鬼の洗濯岩】青島神社【漣痕】
https://youtu.be/ilu94hgR_98
【胆沢ダムから免れた地】馬留湿地【水芭蕉群生地】
・Youtube 水無月の日本探訪記
【胆沢ダムから免れた地】馬留湿地【水芭蕉群生地】
https://youtu.be/sZlxpFjPcf0
今日ご紹介するのは岩手県にある「馬留湿地」です。
馬留湿地は胆沢ダムの手前にあります。
そもそも胆沢ダムの場所は、ちょうど仙台と盛岡の間くらいにあり
中尊寺金色堂、源義経が討たれた場所で有名な平泉の真北ですね。
東に行くと10年前の大震災で被害のあった大船渡や気仙沼があります。
更に拡大してみると、こんな感じです。
最寄り駅は「水沢駅」
この神社は天之常立神を祀っている珍しい神社ですね。
さて、この水沢駅からそのまま西に向かうと、胆沢ダムがあります。
この胆沢ダムの手前に馬留湿地がございます。
馬留湿地の説明。
ダム建設にあたり周囲にあった民家は立ち退き、そのまま湿地化したものと
もともと水芭蕉が群生していたところであり
この2つが合わさって出来上がったのが馬留湿地というところのようです。
極めて珍しい成因の湿地ですね。
というか、水芭蕉群生地に住宅作って住んでたんだ…というのが驚き。
よって、もうちょっと胆沢ダムが東にできていたらこの湿地もダムの底だったと
思うと、なかなか奇跡的な理由で生き残ったんだなぁと。
逆にいうと似たようなところがあったとしても既に胆沢ダムの底に沈んだんだろうなぁ
というお話ですね。
なお、十年前に行ったこの時にはまだ胆沢ダムは建設中でしたので
もうちょっと足を伸ばしておけばそういったダムに沈む予定だった
何かに出会えたかもしれないと思うと残念だなぁと思います。
駐車場から湿地に行きます。
もう植生が関東と違い、高山っぽさを感じますね。
そりゃ水芭蕉のような高山植物が平地に咲いてるくらいの気温の場所ですもんね。
そのうち木道が出てきて、その上を歩くことに。
湿地っぽさが出てきます。
群生地というだけあってすぐに水芭蕉が出てきます。
水芭蕉があるというということは行者ニンニクもとれるのかな。
水芭蕉のある場所には行者ニンニクがあるというイメージ。
正しいかは知らないww
こんな感じで至る所に水芭蕉が。
木の根元の色の違いから見るに、このあたりは色の違う所まで積雪するんですかね。
湿地の中に可憐な白い花の水芭蕉。
割と好きですね、この花。
木道は途中で終わってたりもします。
わりといい加減。。
季節によってはまだ違う景色が見えるんでしょうね。
以上、馬留湿地でした。
<水沢駅から馬留湿地までのアクセス 徒歩>
水沢駅から徒歩で4時間、20キロ。
歩ける距離ではないですな。
<仙台駅から馬留湿地までのアクセス マイカー>
だいたい車で2時間くらいです、水沢の陸中一之宮も合わせて行ってみてください。
<水沢駅から馬留湿地までのアクセス 公共交通>
2021年3月31日で馬留線(水沢駅前~まごころ病院~ひめかゆスキー場)
は廃止されたとのこと。
公共交通でのアクセスは無いですね。
・Youtube 水無月の日本探訪記
【胆沢ダムから免れた地】馬留湿地【水芭蕉群生地】
https://youtu.be/sZlxpFjPcf0
【トロッコ】湯ノ口温泉【紀州鉱山】
・Youtube 水無月の日本探訪記
【トロッコ】湯ノ口温泉【紀州鉱山】
https://youtu.be/-CLNKEJWgQQ
今日ご紹介するのは三重県の湯ノ口温泉です
先日ご紹介した赤木城跡から近く、元鉱山の施設であったトロッコを再利用した
温泉施設です。
残念ながら博物館は閉まっていたため見れなかったのですが
鉱山資料館という以上関連の展示物があるのだと思うのでだいたい想像できる。
ただ、太平洋戦争中のイギリス軍捕虜がこちらの鉱山で労働していたので
そちら関連の資料も展示されているようではあります。
今は蓄電池のトロッコですが、当時は電線で動力を供給されながら走っていたようです。
こちらは蓄電池タイプ。
こうやって野外展示してもらえると自由に見れるのでありがたい。
旧選鉱所と源泉施設。
温泉の資料。
鉱山へ続く軌道はまだ残っています。
鉱山資料館から湯ノ口温泉までは多少離れているため車で移動します
山肌もなかなか良いですね
トロッコの乗り場がある宿泊施設の瀞流荘です
10年前の写真なので今では多少金額は上がっているでしょう。
こちらがトロッコ電車。
蓄電池で動いてるみたいですな。
一日6本ですが、湯ノ口温泉でのんびりして帰ってくるのであればちょうどいい
本数ですな。
こちらがのった感じ、天井が低いのでちょい窮屈です。
運転中の写真、見ての通り、トンネルも狭いのでギリギリですな。
10分程度で終点の湯ノ口温泉駅に着です。
ホームから見たトロッコ
車両を切り離して向き変更中
駅のホームは橋の上、到着時はまったく気が付きませんでした。
駅全貌。
左側の温泉施設とバンガローは全面リニューアルで一新しているそうです。
当時の雰囲気をお楽しみください。
温泉の建物も結構立派なんですけどね、一度泊まってみたかったとは思います。
湯ノ口温泉の紹介です。
今の温泉は二代目なんですな。
日本は何にしても神を見出し、感謝を上げる素晴らしい民族だと思います。
温泉の源泉から流れる温泉水。
湯の滝です
河原から見た上流側
河原から見た下流側
トロッコの炭鉱側の先、こちらは閉鎖されているため入れません。
格子の間からカメラで撮影。
以上、湯ノ口温泉でした。
<紀伊市木駅から湯ノ口温泉までのアクセス 徒歩>
紀伊市木駅から約20キロ、とても歩こうとは思えないけど、一応ね。
昨日は和歌山からだったので今日は四日市から。
大体2時間くらいですかね、海岸に沿って降りてくるだけなので運転は楽かも。
<熊野市駅から湯ノ口温泉までのアクセス 公共交通>
https://www.town.mihama.mie.jp/material/files/group/3/kodo_r1.pdf
昨日紹介したバスと同じです、終点に存在しております。
・Youtube 水無月の日本探訪記
【トロッコ】湯ノ口温泉【紀州鉱山】
https://youtu.be/-CLNKEJWgQQ