【川の流れる城跡】鉢形城【北条系築城術】
・Youtube 水無月の日本探訪記
【川の流れる城跡】鉢形城【北条系築城術】
https://youtu.be/8NvR3cBbRQI
今日ご紹介するのは埼玉県は寄居にある後北条氏の残した鉢形城跡
そもそもまず、寄居がどこにあるかと言うと
埼玉県でも西の方にある、秩父の北側、熊谷の西という位置になります
ちょうど秩父の奥地から流れる荒川が、関東平野に流れ込むそんな位置にあります。
いわば交通の要衝であり、山間部を通り広がりきらない軍勢を迎え撃てる
そんな絶好の立地にあるお城です。
鉢形城の歴史案内。
この交通の要衝にあることで、武田信玄や上杉謙信に年がら年中攻め立てられ
最後は豊臣秀吉の子飼いの武将達と激突することになるお城。
最終的には3000人で3万程度の軍勢を相手に一月籠城し、降伏したという歴史をたどる。
行ってみて思うことは、よくこの広大な敷地をたった3000人で守ったなぁ
という印象が物凄く強い
まずは外曲輪。
曲輪に入る前にこの広さ。
こういった土塁を越えた先に川があり、その川を渡るとようやく本丸などがある
荒川に注ぐ川が城の内部を流れてゆく
まるで映画のワンシーンのような美しい川である
当時の兵士もここで同じ景色を見ていたんだなぁと思うと平和な時代って素晴らしいなって思うのさ。
今ではこんな癒やしのポイントは無いよ。
緑があり、川のせせらぎがあり、人もいない。
最高の癒やしスポットです。
川を抜けた先はこのような曲輪が待つ。
ほんと3000人で守れんのかよ、これ。
鬱蒼と茂る森、そしてこの高低差の土塁。
なかなかに攻めづらいですなぁ
二の曲輪着
運動会できるレベルで広い!
絶対こんなところを寡兵で守りたくないなぁ。
曲輪と曲輪の間には橋がかかっており、いざ手前の曲輪が陥落すれば
この橋を切り落とし、残った曲輪で戦を継続するというもの
本来であればもっと深かったであろう堀。
後北条氏特有の堀の間に畝を作り、堀の間での行動を阻害するという仕掛け
それが障子堀である
後北条氏特有のものかと思ってたのですが、どうもはるか昔から使われていたよう
まさに関東ローム層という滑りやすい赤土を利用した、地の利を生かした防衛施設ですな
堀の底から眺める曲輪。
当時はもっと深く、草も無かったのであろう
攻める側としてもここに居たくないよなぁと実感。
こういうムズムズする防衛施設を見ると、ああいいもの見たな
現代に生まれてよかったな、と本当に実感する。
私、城跡に行った時によくやるのが、自分が「攻める側/守る側になりきってみる」
というお遊び。
どういうシナリオで攻められて、どっちから寄せ手が来て、どうまもらなきゃいかんのか、そういった事を思い浮かべながら城跡を散策するのが好き。
合ってる合ってないなんて関係ないのですよ、楽しいんだからそれでいいじゃない
そしてこちらが三の曲輪
もしかすると本郭には行ってないかもしれない、広すぎるんだもの。
この三の曲輪には秩父曲輪というものがあり、建物が復元されている
秩父曲輪の上から見下ろすとこんな感じ。
割と自由に動き回れるのもこの鉢形城の良いところ。
この石垣は丸く、小さいので河原の石を敷き詰めていたのだろう。
関東の石垣は西側の城と違い、割と珍しい。
関東ローム層の土がそのまま防衛施設に早変わりするくらい滑って登ってこれないからである。
小春日和で花咲く時期にここで寝っ転がってのんびり日向ぼっこしたい。
そんなのどかな場所である。
三の曲輪を抜けた先に諏訪神社があり、ここで鉢形城は終わりでございます。
寄居駅から1.6Kmなので歩けるなら歩いたほうが楽。
バスは休みの日は1日に3本程度しかないので…
大宮駅から大体一時間程度ですな
<寄居から鉢形城へのアクセス 公共交通>
http://new-wing.co.jp/rosen/higashichichibu/20210313time/5054.pdf
寄居駅から和紙の里行きのバスにて230円にて行けます
土日/祝日は1日に3本程度しか無いので要注意です。
・Youtube 水無月の日本探訪記
【川の流れる城跡】鉢形城【北条系築城術】
https://youtu.be/8NvR3cBbRQI