坊津の思い出

九州は鹿児島の坊津に行った思い出。

 

残念ながら写真は保存しいてたHDDが死んでしまったいるので

写真はないのであるが、思い出を語っていこうと思う。

この坊津というところ、平安時代で外国人を受け入れる場所の一つであった所。

当時受け入れ口を絞っており、江戸時代でいう出島的な存在なのである。

以外だよね、平安時代すでに日本は外国人の受け入れ場所で制限していたという。

他に受け入れる場所は福岡だったかな。

 

福岡で受け入れるのと鹿児島の坊津で受け入れるのじゃ、その後の交通の工数が違いすぎるよなぁとは思う。

それだけ海外からの流入者を警戒していたんだろうね。

 

平安時代日本に招聘された鑑真も坊津からの受け入れなので、どんな人でも

平等に坊津で受け入れていたようだ。

 

と、坊津にある鑑真記念館で学んだこと、そしてもう一つ学んだことは

この鹿児島という土地は、明治に廃仏毀釈の際に割と強めに廃仏が

行われた場所でもあり、びっくりしたのだが藩主である島津家の

菩提寺?(先祖が祀っている寺)も徹底的に破壊されたという。

 

島津藩ってお殿様とそれ以外の人という世界観で構成されている所というイメージだったのでこれは意外だったなぁと。

 

こういう情報は意図的に集めようとおもわなきゃ集められないので

旅行で行った先で偶然にでも入手できるとほんとうにありがたい。

 

上記2点が坊津に行って知ったこと。

 

やっぱ行ってみるに限る、いかなきゃわからん話もあるね。

 

あと、坊津での出会いとして、坊津というか枕崎でもあるんだが

戦艦大和の慰霊碑のある平和祈念展望台が枕崎と坊津の間にあるのだが

ここに行った時に案内をしてくれるボランティアの人との会話。

 

この人は地元の人ではなく、大阪からの移住者であるとのこと。

戦艦大和の話よりも、当時のわたしは移住についてのほうが興味があったので

よくよく聞いてみると、やはり地元の人と移住者の間には大きく隔たりがある

ので、移住者は移住者で集まったほうが結果的にはよいコミュニティーになるとのこと

これを聞いて、もし地方に移住することになったら私もそうしようと思う。

 

こういうのも現地いかなきゃいけない情報ですからね。

いや、ほんと旅行は楽しい限りでございます。

 

もう一度坊津に行って情報の更新をしておきたいところである。