【炭坑節】田川市石炭・歴史博物館【閉山】
・Youtube 水無月の日本探訪記
【炭坑節】田川市石炭・歴史博物館【閉山】
https://youtu.be/VxEbcOvQoMo
北九州港から電車で豊後竹田まで行った時に立ち寄った田川市石炭・歴史博物館。
この年の夏休みは1週間を豊後竹田の長湯温泉で車なしで過ごすという最高の夏休み。
定宿にしているBBC長湯に滞在するのだが、この宿いつも一杯で予約がとれないのだが、俺は運がいいので大体取れる。
5人用のコテージを一つ借りても一日8000円位なのでリーズナブル。
BBC長湯はまたの機会に。
で、立ち寄った田川。
田川の場所はいか
ここも炭鉱で賑わった街、内陸部であり交通の便もいいので廃坑しても人は多い。
採掘の際にでる石炭以外のガレで出来たぼた山など、鉱山にいくとよく見るが、ここまで山になっていると違和感がない。
いや、あんな扁平な山は違和感あるが。
ま、九州は切株山などもあるのでこういった形の山は見慣れていると違和感ないかもしれない。
九州や四国は面白い形の山が多いところを見ると、やはり本州とは成因理由が違うんだなぁと実感する。
この田川はいわゆる筑豊炭田を構成する炭鉱の一つ。
文明10年(1478)頃から製塩において燃料として石炭を用いるようになったため、
当時の小倉藩と福岡藩は域内の石炭採掘・輸送・販売を藩の管理下に置き、炭鉱の開発を進めた。
明治33年(1900)、三井鉱山は田川採炭組から伊田・弓削田等の坑区を買収。
同四三年、伊田竪坑二本を開削して規模を拡大、三井田川炭鉱の確固たる基盤を築く
大正七年(1918)、三井田川鉱業所と改称し、鉱員数1万6438人、職員数571人(大正8年)を擁する筑豊炭田を牽引する大炭鉱となる。
三井田川鉱業所は昭和39年に閉山、昭和45年に残務処理が終わり炭鉱が終わる。
この閉山に伴う様々な話は本でも残っている。
日本残酷物語という名前からしておどろおどろしい本ではあるが、真面目に当時の暮らしが書かれているので実に面白い。
こういう書物じゃ選ばなきゃ入ってこない情報も現地では見て感じることが出来、他の地域との差を感じ取り特徴を見て取れるのが実に楽しい。
<福岡から田川市石炭・歴史博物館へのアクセス 徒歩>
九時間か~~、気分は防人ですな。
・Youtube 水無月の日本探訪記
【炭坑節】田川市石炭・歴史博物館【閉山】
https://youtu.be/VxEbcOvQoMo